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【摂理・鄭明析牧師】命をかけて命を救う ~弱者の立場に立つ~

ある一人の日本人が、「イスラム国」に捕えられた友人を救い出すため、内戦中のシリアに向かった。自分自身の死の危険があるにも関わらず、現地の人に止められても飛び込んでいったそうだ。結果的には、二人とも亡くなるという事態になってしまった。

その日本人の行ないには様々に賛否両論があるが、命をかけて友人を救おうとしたその行ないには、キリストの精神を感じる。実際、その日本人はクリスチャンだそうだ。その日本人を知る著名なジャーナリストも「いつも弱者の立場に立ってきた人だ。」と話す。ヨハネによる福音書15章12~13節にも、「わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」と書いてある。


摂理・鄭明析牧師は、「この世で最高に大きいことは、肉体が死ぬところから助けてあげたことであり、霊魂を救ってあげることだ。」と教えて下さった。


世の中では、肉体には特に死の危険は無いが、心の苦痛を感じながら日々生活している人が少なくない。「答えのない時代」と言われる現代でどのように生きればよいか見いだせず、経済的には豊かになっても心と霊魂の渇きを感じている人も少なくない。


鄭明析牧師は、聖書を深く読み、深くお祈りして神様と対話する生活の中で得た御言葉を惜しみなく伝えて下さり、「答えのない時代」と言われる現代でどのように生きればよいか教えて下さり、定まらなかった心が生きるようにして下さった。

ある国に滞在していた時、鄭明析牧師は御言葉を伝えると死の危険があるにも関わらず、霊魂を生かす御言葉を貴重に思い、途絶えないように続けて御言葉を伝えて下さったと聞く。命をかけて、死んだ精神、心を生かして下さった。

また鄭明析牧師は、世の中で見くびられ無視されるような弱者でも、その人が生かされる道を教えて下さり、下を見ながら生きるしかなかった人たちが顔を上げて生きれるようにもして下さった。

弱者の立場に立つということは決して簡単なことではない。その人を愛する心がないとできないし、忍耐力も必要だ。時にはその人の言えない事情が明るみに出ないように覆ってあげることもあり、世の中の能力主義/成果主義的な考え方から見ると矛盾するようなやり方をする時もあるので、周囲から誤解を受けることもある。誤解を受ける時、心は焦がれ、覆ってあげたその人の事情を話すこともできず、心臓が破裂するような痛みを感じることもあるであろう。この苦痛は、味わったことのある人でないと分からないと思う。しかし、そのようにしてでも鄭明析牧師が人々を生かしてきた姿を私はたくさん見てきた。


能力主義/成果主義的な考え方も大事ではあるが、「弱者の立場に立つ」というのは、日本人がもっと取り戻してもよい精神性ではないだろうか。


最後に、残念にも亡くなられた二人の日本人の方に平安がありますように。

【摂理・鄭明析牧師】イラク第2の都市モスル ~そこは神様が預言者ヨナを送った町~

現在、「イスラム国」の占拠が続くイラク第2の都市モスル(モースル)。
都市の中心をチグリス川が流れ、その東岸はかつてはニネベと呼ばれていた。




紀元前にはアッシリアという国がニネベを首都としていた。
神様はその時代、イスラエルの預言者ヨナに対して、「ニネベへ行き、彼らの悪い行ないのためにニネベが滅びると宣べ伝えなさい」と命じられた。ヨナは一旦は躊躇したが、神様の導きによりニネベの町へ行って宣べ伝えると、意外にもニネベの人々は神様の前に悔い改めた。それを見て、神様は予定していた裁きをやめられた。

預言者ヨナがニネベで宣べ伝え続けても、もしニネベの人たちがヨナの言うことを受け入れる心にならなかったら、どのようなことが起きていたであろうか。アッシリアからすると敵国のイスラエルから来た人でもあったので、捕えられて殺されたかもしれない。

二千年前にイエス様が新しい時代の福音を持って新約の歴史を広げられた時は、当時の大多数の人々からは受け入れられず、罪人として判決を受けたイエス様は十字架にかけられてお亡くなりになられた。

神様が送られた人の路程は、いつも命をかけた路程だと言わざるを得ない。

韓国出身の鄭明析牧師は、当時、韓国からは敵国となる北ベトナムとの戦争のため、ベトナム戦争へ参戦された。普通に考えれば、戦争は殺さなければ殺される状況であるし、韓国の戦友を殺された立場だから、戦うしかない。しかし鄭明析牧師は、争ったらお互いに死ぬと考え、戦争中も聖書を読んで実践しながらひたすら神様に祈り、敵の命をも大事に思い、殺せる状況になっても敵を一切殺さず、捕虜として連れ帰ったりした。そのようにした時に神様が恵みを与えて下さり、鄭明析牧師の所属する部隊からは三年間で死者が僅か二人しか出なかった。

鄭明析牧師は、命をかけて神様の御言葉を実践すれば、平和が成されることを身をもって示して下さった。

平和を成すために神様が送って下さった方々と、神様に感謝したい。

【摂理・鄭明析牧師】終戦の日とモンサンポの満ち潮奇跡

8月15日は、日本人であれば誰もが知っているように、長い世界大戦が終わった終戦の日です。韓国では、同じ日を植民地支配からの解放を祝う光復節と言います。日本と韓国の間には、歴史的に複雑な感情のやり取りが今も一部で続いていることはご存知の通りです。

1995年8月15日、鄭明析牧師は韓国モンサンポの海岸で、「互いに仲良くなかった先祖たちとは違って、摂理の韓国人と日本人が互いに心を解き、平和にし、韓国と日本が和解しよう。」とおっしゃり、韓国人と日本人が一緒に集まって平和を成すバレーボールの試合もし、神様に栄光を帰する大きな行事を開催されました。

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そのように神様が望まれることを成されたので、神様が共にして下さったしるしとして、時間が経てば満ち潮でバレーボールが出来なくなってしまうところを、満ち潮が入ってくる途中で止まるという奇跡が起こりました。

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神様が望まれる道を行くことは決して楽ではありませんが、2002年のFIFAワールドカップやその後の韓流ブームのように、両国が確かに平和を成していた時がありました。個人、家庭、民族、国家、世界が、神様の望まれる真の平和で満ちるように願い、祈ります。平和が成される時、神様が共にして下さるしるしを見せて下さることを信じます。

【摂理・鄭明析牧師】ニュースを見て神様の行なわれることを悟る (2014ワールドカップ決勝カードとキリスト教の関係を見て感じたこと) [ワールドカップ]

今年のワールドカップの決勝戦は、ドイツとアルゼンチンで競われることとなった。これは、1986年メキシコ大会、1990年イタリア大会の決勝戦のカードと同じ(正確には、西ドイツとアルゼンチン)である。

キリスト教の観点から見ると、世界最大のカトリック信者数を擁するブラジルで、カトリック総本山であるバチカンの前・教皇ベネディクト16世と、現・教皇フランシスコの出身国の対決となった。ドイツは、カトリックに対して宗教改革を興してプロテスタントの源流となったルターの出身国でもある。

摂理・鄭明析牧師は、「ニュースを見れば、神様がどのようなことを行なっていらっしゃるのかが分かる。」と教えて下さった。ワールドカップを通して神様がどのように働かれたのか、詳しく御言葉を伝えて下さった時もあった。

世の中の人たちがワールドカップを通して神様の働きを感じて悟り、自分自身や国ではなく、神様に栄光を帰すようになることを祈ってやみません。

【摂理・鄭明析牧師】神様が与えて下さった才能を使って、神様に栄光を帰す (ワールドカップを見て感じたこと) [ワールドカップ]

摂理・鄭明析牧師は、「サッカーのスーパースターたちは神様が育てた人だから、神様は、彼らが神様に栄光を帰すことを望まれている。」と教えて下さった。

人が持って生まれた才能。開発することで開花した才能。これらの才能は、やはり神様が与えて下さったものではないだろうか。「天賦の才のある」、「有能な」人をgiftedと言うが、これは神様からgiftされた(与えられた)ことを意味する。

神様が才能を与えたのであれば、才能を与えられた人間は、それを開発して素晴らしく作って神様へ捧げた時に、神様が喜ばれて更に祝福をして下さるのではないだろうか。聖書にも、主人がしもべにタラントを与えて、倍に増やして主人に返したしもべのことを、主人が喜んで祝福したという話しがある。(マタイによる福音書25章14~30節)

2002年のワールドカップの時には、優勝したブラジルのチームが輪になって神様に感謝の祈りを捧げる姿が映し出されたし、エースストライカーのロナウドも「神様はとても優しい。」と話して、神様に栄光を帰していた。今年のワールドカップを見て、果たして神様はどのように感じていらっしゃるのか、その方に伺ってみたい。

【摂理・鄭明析牧師】<自己管理>ができなければ、行く道を行く途中で下車するようになる。 [鄭明析牧師の明け方の御言葉より]

(摂理・鄭明析牧師の明け方の御言葉より)

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人は行く道の途中で困難にぶつかると、「もうだめだ。」「できない。」と諦めてしまうことも多いです。しかし、そこで諦めたらそこで終わってしまいます。行く道を途中下車することになってしまいます。

私も大学受験の勉強を熱心にしていた頃、人生の目的は何なのかが分からなくなり、「このまま受験勉強を続けて大学に入ったところで、果たして人生の目的を見い出して大学生活を送って、後悔なく一生を終えることができるのだろうか?」と不安に感じ、受験勉強もやめてしまおうかとふと考えたことがあります。しかし、ここでやめてしまったら、今まで数年間努力したことが全て無駄になると考え直して受験勉強を続けました。大学へ入学してから鄭明析牧師に出会うことができ、無事に人生の目的を見い出すことができるようになりました!

鄭明析牧師は、「最後まで行くことだ」とよくおっしゃいます。月明洞自然聖殿の岩の造景も、勇壮に立てた多くの岩の群が立てては何回も崩れ、一緒に工事をしていた弟子たちは岩を立てることが不可能なことのにように感じていたと言います。
しかし、鄭明析牧師は諦めずに最後までやり遂げ、美しい花木や滝とも調和した、今日の素晴らしい勇壮な岩の造景を造り上げました。
鄭明析牧師は、信仰とはこうあるべきだといつも実践して見せて下さいます。

また、鄭明析牧師は神様の御心を成すために毎日運動もして、健康管理にも非常に気を使われています。

自分の体の健康も管理し、心・精神・考え方も管理すれば、途中下車せずに最後までやり遂げることができます!
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